267 釈迦ヶ岳

  • 二人行。前日のお昼は結婚式、夕方から一月遅れの山の新年会だったということで、一日中お祝いモードで非常に飲み疲れていました。Sussieと深夜にお別れにする時に「明日は鰐塚山にしようか?」とリクエストを頂いたのですが、横からデベロッパーが「釈迦ヶ岳にすればいいわ~。良い山だがね~」と言うので流れで釈迦ヶ岳に決まりました。最近出番の少ないデベロッパーさんの意見も取り入れましょう。
  • 今までの迦ヶ岳のイメージは「登りで1時間強の初心者向けの山」と思っていましたが、こうして自分の体力等の低下のお陰で「ちょうど良いお山」になりました。「こんなに楽しい山だったかな?、意外だったな。」という感じでまた行きたいと思うのですが、この山域の旬は3月までとしときましょう。
  • ちょうど頂上で毎日のように山に来ているというお元気なおばちゃんが「ここの山はね、3月28日までは登っていいのよ。」と皆にするどく適確に語っておられました。春になるとやっかいなヤツが出てくる意味だとすぐに分かりました。おそらくいや確実に3月29日にやられたのでしょう。しかし情報の共有化までには至らず、知らない人がほとんどです。いつになったら登山口に注意書きができるのでしょうか。私なんか一発目でやられましたからね。2006年5月13日に初めてこの釈迦ヶ岳に訪れた際に、親指大にまで膨れ上がったヤマビルさんを連れて帰ってしまい、自宅の玄関で発見した時なんか”驚天動地”ぐらいの衝撃でしたけどね。本当に血が止まらず、靴の中が真っ赤でしたね。ヤマビルは体へのダメージよりも心のダメージの方が強くて、一度やられてしまうと「もう山には行かない!」となるやもしれません。まぁ私のこの登山日記は、読者が少ないので効果がないかもしれませんが、山の良いところばかり紹介してもいけませんよね。「4月から10月半ばまではヤマビルにお気をつけあそばせ。特に湿っている時は最悪だ~」ぐらいはお伝えしておこうと思います。
  • 話を戻します。体力がある時は「釈迦ヶ岳なんて・・・つまらない」と思っていた。体力がない今、奇しくもある人をここで初めての登山経験をさせた時のことを思い出しながら登っていた。彼は何度も「もう死ぬ、何度も心臓がとまりかけた。登山がこんなきついことだとは思わなかった。」という意味の言葉を吐きながらうるさく登った。そしてかなり時間をかけ頂上に登ると「ア~ア、キツかった」という言葉を吐いた。自然に対する感謝も山の高さに対する尊敬もなく、ただ「キツかった」では人としての尊厳もない。また下山後にも「今日は山に登れて良かったです」の一言もなかった。与えられた環境の中から楽しみを得るのが登山の醍醐味なのに自分の体力で山を計るなんてしてはいけないのだということを知ってもらいたかったが、人としての厚みが足りなかったようだ。また別の人は8合目で一旦ピークを迎えて一旦下る地形の妙を「苦労して登ったのに、下るとはあんまりだとは思わないか?とても信じられん。」と山に文句を言った。こんな方々は二度とこのお山に登ることはないのが自明なのだが。こちらの目論見を破る方には出会えていない。
  • 人には人生の中で一度釈迦ヶ岳に登ればカタがつく問題でも、私は違う。山は回数だと思う。大地を踏んで踏んで一歩一歩頂きに近づき、目の前に立ちはだかる大岩があれば両手を使い攀じ登る。苦労して高みに達する瞬間の喜びは静かに感謝しながら味わいたい。その山の持つ良さが分かるには回数しかない。同じルートを歩けば同じ所で右に曲がったり、左に曲がったりしながら進むのだからその山の持つ特徴を何度も体に刷込ませることによって体で覚えるのだ。だから回数が増える毎に楽しみがじわりと増えてくる。この釈迦ヶ岳は自分にとって登山口確認のために訪れたのを含めると14回目だから、少しは釈迦ヶ岳の魅力が分かってきたのかもしれない。登山って深いと思う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください