登山ってなんだろう その2

登山はそもそも論からスタートすべき、他人に追従していては長続きしないよ。
「登山とはなんぞや」という問いには、自分はそもそも何のために山に登りたいのか?という「そもそも論」からスタートすべき。登山をスポーツと捉えるか、レジャーと捉えるかで登山に対する心構えが違ってくるのは当たり前のことだろう。登山は目的によって区別すべし。人によって目的が違うのだから、人に追従していると自分を見失い、長続きしない。自己主張していったほうが実りが多いのは自明の理だ。

P1030030text

良識ある登山者は複数では行かない
と私は甚だ生意気にもそう信じている。単独者は登山口に立った時から個(実存者)としての自分と山との闘いが始まっている。弁当を喰うか喰わぬかは、小さな小さな取るにも足らぬ問題なのだ。第一に迷わず生きて帰ってこなければならないのだよ。誰にも頼れないからこそ、目を見開き、感性を研ぎ澄まし、葉のこすれ合う音からさえもどこから風がやってきて、どこに行こうとしているのか知らねばならぬ。安全を優先すれば、感性の低い人は複数で行くべきだし、やがて感性を磨けばあなたの登山ライフは有意義なものとなる。

ただし、例外はある。トレランレースに向けての調整とコース確認で複数で入ることは、志が高い分、あり得ると思う。協力しなければ安心してスタート地点に立てないからね。肝心のトレランレースはそれはそれは苦しいものだよ。King of Sportsと言っても良いかもしれない。

山における感性とは
山から情報を受け取る力。具体的には道を踏み外しても5分以内に気がつく力。有り体に言えば「迷わない力」だ。

山における良識とは
人一倍、苦労をしたい。楽して山に入りたくない。有り体に言えば「がまん力」だ。
山との闘いは登頂の成否ではなく、自分がいかに苦労できるかだ。
山を征するのではなくて、自己を征することだと思う。

レンジャーからのお願い
枝は折るな。(帰りの目印のために枝を折りながら進む人がいる)
目印のテープは剥がすな。(自然保護だと真剣に思う人がいる)
無闇に排尿するな。(言わないでもわかるだろう。特に頂上ではやめて欲しい)

高千穂峰宮崎県側20061203

↑ この風景がたまらなく好き。この頂を前にして、どう登り、どう降りるかは個人の自由です。私は人と競ることが嫌いなので、一人で登り、一人で降りたい。ただし、最近はまっている長距離走のレースは競ることが楽しい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください