9月 09

霧島岑神社

霧島岑(みね)神社は霧島六社権現(きりしまろくしゃごんげん)(または霧島六所権現(きりしまろくしょごんげん)ともいう)のひとつ。現在は小林市細野地区の夷守バス停の奥に鎮座する。六社権現は村上天皇の時代に、霧島山などで修験道の修業を行った性空上人(しょうくんしょうにん・京都生。平安時代中期の天台宗の僧。)によって整備されたとの記述がある。が、なぜ仏教で霧島を再定義する必要があるのか、個人的に疑問を持つことを楽しんでみたりする。しかし実際は霧島山の南にあたる都城には太郎坊とか穂満坊とかの地名が残っているので修験道と真言密教が混沌となって山岳宗教が花開いていたのだろう。現代は宗教者が霧島の山に登る姿はあまり見ないが、そのかわり登山者は星の数ほどいる。権現とは、神仏習合の考え方で、仏が化身して日本の神として現れること。

日本人は割と系統立てて説かれると外来宗教でも簡単に受け入れる素養がある。仏教はインドで興り廃れたと云う事実は大事だと私は思うのだが、日本人の過半数は仏教を拠り所としているようにしか見えない。翻って日本神道は教理がないので賢い日本人にはもの足りないのだろうな。

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8月 09

立秋によせて

石崎鎮守の杜へ落ちる夕陽

秋の陽を
迎へ給へし
永久の
鎮守の
石崎杜に

立秋の日に石崎川の袂の広瀬神社の上へ落ちる夕陽
周りは開発されて全て削られ住宅街となり
鎮守の杜はこの神社境内のみとなっている
太古の昔より太陽はこの立秋の時期にはこの神社の上に落ちていたのだが
今となっては杜であることがことさらに強調されてしまった

昔この川のもう少し上流で弥生時代の土器を発見したことがあります。
小6だったので、理科の先生に見せると驚いていました。
なぜに理科の先生? 多分担任を信用していなかったと思います。

2月 16

生目神社

生目神社は宮崎市生目(いきめ)地区にあります。実は生まれて初めて訪れさせていただいたのですが、入口の守り神の狛犬の可愛らしさから、心が温まりました。花を愛でて参道を進みますと、右手の塀の上に、一見白黒の猫に見える守り神様もいらっしゃいました。また神社の佇まいも、ご神木も風情があって私の琴線に触れた神社でございました。

由緒書きを拝見しても歴史のある神社であることが分ります。お掃除も行き届いてあり、境内中が掃き清められていて清々しい気も感じられました。やはり神社は「良い気」が大切だと思います。
生目神社

1月 12

弥山と狛犬

弥山と狛犬

宮島の一番高い頂きは弥山(みせん)と呼ばれ529M(一説では535M)もある。海抜ゼロメーターの厳島神社から整備された石段を一歩一歩登る訳だが、途中仏閣と神社が交互に顔を見せるので、敬けんさを持ちながら頭を垂れて登ることを求められる。山名については、宗教上の概念である須弥山と同義語とする説や、Wikiによると元は「御山」(おやま、みやま)と呼んでいたのが「弥山」となったという説などがある。なお、山頂にある三角点の名称は「御山」なので後者が正しいのかもしれない。また神社の入り口にある狛犬はどう見ても獅子である。祖霊信仰を大元とした確たる教義の無い原始宗教である神道の守りに、外来の生物を使うとはアイデアが良すぎるように見える。

宮島は古より多くの歴史上の天上人と、中国大陸との交易に多くの船が行き来した地でもある。この記事はそんな歴史ある宮島を貶(おとし)めるものではない。極東は英語でFar Eastという。極論づければ日本の東には国も民もないのである。こんな切羽詰まった地球の片隅で明日の繁栄を夢見て力強く生きていたのだ、日本人は。そう思えたのはしまなみ海道を四国に向かって辿る途中の島々に当たり前のように町々があったのを見て逞しさを感じたから。

日本は元より神仏習合の文化である。私は頭が悪いのでいつもこう思っている。「大和の民はもったいない精神が強すぎて、海を渡ってきた宗教を捨てられずに大事にする。他民族なら流行り廃りのムーブメントがあるのだが、大和民族はこの外来の宗教をうまく使いこなして、国家運営や庶民の死後の世界の不安で引き起こされる厭世観を小さなものにしてきた。」

私はまたこう冗談で言う。「よくもまぁ、あのインド人が捨てた仏教を有り難いと後生大事にしているよな、日本人って。全部生活の中に引き入れて、お宮参りを神社で、葬式をお寺で、結婚式をキリスト教教会でという具合に棲み分けている。宗教の博覧会以上に宗教の実験場ではないのか。」