弥山と狛犬

弥山と狛犬

宮島の一番高い頂きは弥山(みせん)と呼ばれ529M(一説では535M)もある。海抜ゼロメーターの厳島神社から整備された石段を一歩一歩登る訳だが、途中仏閣と神社が交互に顔を見せるので、敬けんさを持ちながら頭を垂れて登ることを求められる。山名については、宗教上の概念である須弥山と同義語とする説や、Wikiによると元は「御山」(おやま、みやま)と呼んでいたのが「弥山」となったという説などがある。なお、山頂にある三角点の名称は「御山」なので後者が正しいのかもしれない。また神社の入り口にある狛犬はどう見ても獅子である。祖霊信仰を大元とした確たる教義の無い原始宗教である神道の守りに、外来の生物を使うとはアイデアが良すぎるように見える。

宮島は古より多くの歴史上の天上人と、中国大陸との交易に多くの船が行き来した地でもある。この記事はそんな歴史ある宮島を貶(おとし)めるものではない。極東は英語でFar Eastという。極論づければ日本の東には国も民もないのである。こんな切羽詰まった地球の片隅で明日の繁栄を夢見て力強く生きていたのだ、日本人は。そう思えたのはしまなみ海道を四国に向かって辿る途中の島々に当たり前のように町々があったのを見て逞しさを感じたから。

日本は元より神仏習合の文化である。私は頭が悪いのでいつもこう思っている。「大和の民はもったいない精神が強すぎて、海を渡ってきた宗教を捨てられずに大事にする。他民族なら流行り廃りのムーブメントがあるのだが、大和民族はこの外来の宗教をうまく使いこなして、国家運営や庶民の死後の世界の不安で引き起こされる厭世観を小さなものにしてきた。」

私はまたこう冗談で言う。「よくもまぁ、あのインド人が捨てた仏教を有り難いと後生大事にしているよな、日本人って。全部生活の中に引き入れて、お宮参りを神社で、葬式をお寺で、結婚式をキリスト教教会でという具合に棲み分けている。宗教の博覧会以上に宗教の実験場ではないのか。」

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。