霧島岑神社

霧島岑(みね)神社は霧島六社権現(きりしまろくしゃごんげん)(または霧島六所権現(きりしまろくしょごんげん)ともいう)のひとつ。現在は小林市細野地区の夷守バス停の奥に鎮座する。六社権現は村上天皇の時代に、霧島山などで修験道の修業を行った性空上人(しょうくんしょうにん・京都生。平安時代中期の天台宗の僧。)によって整備されたとの記述がある。が、なぜ仏教で霧島を再定義する必要があるのか、個人的に疑問を持つことを楽しんでみたりする。しかし実際は霧島山の南にあたる都城には太郎坊とか穂満坊とかの地名が残っているので修験道と真言密教が混沌となって山岳宗教が花開いていたのだろう。現代は宗教者が霧島の山に登る姿はあまり見ないが、そのかわり登山者は星の数ほどいる。権現とは、神仏習合の考え方で、仏が化身して日本の神として現れること。

日本人は割と系統立てて説かれると外来宗教でも簡単に受け入れる素養がある。仏教はインドで興り廃れたと云う事実は大事だと私は思うのだが、日本人の過半数は仏教を拠り所としているようにしか見えない。翻って日本神道は教理がないので賢い日本人にはもの足りないのだろうな。

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社格はあの霧島市の霧島神宮が(西御在所霧島六社権現。別当・華林寺)と呼ばれていることを見ても、峯神社は霧島山中央六所権現、そして別当・瀬多尾寺との標記で岑神社は高千穂の峰の真下の背門丘(せたお)との関連が伺えるので、往時は六社の中でも別格であったであろうと推察できる。六社権現は修験道の行者のための基地あるいは霧島情報提供所みたいな機能があったのではと思ってもみた。六社のひとつである夷守(雛守)神社はこの霧島岑神社に合祀されたとあるが、もともと夷守岳の8合目にあったとの記述もある。背門丘との整合性に齟齬があるように見えるが、高千穂峰と御鉢の噴火で転移を重ねてきたこととも関係があるかもしれない。

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4年振りに霧島岑神社に参拝させて頂いた。過去よりも掃除が行き届き境内の空気が澄み渡り、神々しさを増していた。それは自分が汚れた存在だからこそ得られる感覚だ。摂社に繭(まゆ)神社、馬頭様を祀る神社を併せて持つ、歴史ある神社です。

霧島岑神社

繭神社も馬頭様を祀る神社(正式名称はお聞きしなかった)もこの夷守の地に古より営まれて来た生業(なりわい)から自然と生まれたものだろう。その地ならではの神社の形態に人々の生活感と幸福感が垣間見えた。写真の女性は若い頃(今も十分若いが…)巫女のバイトをさせられたことがあると申していました。

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