12月 31

2015年を振り返る

2015年は体を鍛えようとしてして逆に体を壊したという…痛い一年でした。4月〜6月の車椅子&松葉杖生活は非常に苦痛かつ退屈な3か月でした。
日本国の政治の流れは良い方向に進んでいるように感じます。このまま普通の国に成長できることを願います。考えてみれば昔の高度経済成長期のジャパニーズはポリシーを捨てることによって経済的利益を甘受していた大甘で大馬鹿な国民だったということが解ってきたように思います。年金などの社会保障制度、安全保障の不備を次世代に負わせて知らぬ存ぜぬで綺麗事ばかりぬかしていやがったのです。

2015

9月 17

東方極楽浄土伝説

Web地球の東に行くと「平和憲法」を金科玉条の法典が如く抱いている稀有な国があるという…いわゆる東方極楽浄土伝説なのだが、近隣の目敏い輩はチャンスとばかりに攻め寄こんでくる隙を与えている。最近「日本人」という概念がなくなり、「東方極楽浄土人」に昇華したかのようだ。

憲法前文より

日本国民は、…………、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。

この「決意」こそが日本国民を守る「最終兵器」だ。この崇高な兵器を「東方極楽浄土人」は教条的に信頼している。いま安保法案で与野党も国民それぞれ思うところがあって騒いでいるが、単なるイデオロギーの違いで騒いでいるだけなのに、騒ぎすぎではないだろうか。イデオロギーで飯は食えないし、安全も担保されない。

最近、政治に肝心を持った若者がデモに参加する。馬鹿丸出しで「阿倍はバカ。阿倍はヤメロ!やってられない!」と連呼しているが、仮にも選挙で選ばれて総理大臣を務めている公職にある者を敬うとか、民主主義のプロセスを無視して、3万人も集まれば「民意だ」と胸を張る愚かな子供達。君たち10年前って何していた?ゲームに興じていただけじゃないのか?

思い出すのは、
元号法案成立前夜。「天皇制反対、国民主権に反している」と怒っていた人達は今は共産党員だけになった。

思い出すのは、
消費税法成立前夜。社会党の牛歩戦術で国民の喝采を受け、その後の参議院選挙で大躍進したこともあった。いわゆるおたかさんの「山が動いた」発言だが、その後社会情勢の変化についていけずに党勢が不調になり”社会民主党”と名を変え生き残りを図ったが、利に敏い人は民主党に合流していった。今や風前の灯火である。いや残った芯だけが燃えているだけだ。

思い出すのは、
スパイ法案ならぬ国家機密法でもない「特定秘密保護法」での騒動だが、今や一顧だにされない。

今の騒動が落ち着いた後、次回の選挙での争点は果たして何になるのだろう?消費税10%ぐらいかな?

9月 06

四半世紀のお付き合いに感謝

image昨夜、四半世紀近くお世話になったラーメン屋の親父さんのお通夜参席をさせてもらいました。式前には親父さんの好きな裕次郎の歌が静かに流れていました。親父さんの味は昔ながらの宮崎ラーメンそのもので、歴史がどっかりと乗っかる空気感が私は大好きでした。
親父さんはいつもラーメンをテーブルに運んできては色んな事を語り出すので、食べ始めるタイミングが難しくて麺を伸ばした事も数知れずでした。内容は「いかにラーメンスープを作るのが難しいか」ということがメインでした。「あんなドロドロのスープは誰でも作れる。濾さなければいいんじゃから」という言葉が思い出されます。
そんな親父さんが「もう体力が続かんから、店をひと月後に閉めることにした」と電話があったのが3ヶ月前のこと。それでもスープを作るのが体力的に苦しくなって「早目に閉めるので、あんたに最後にラーメン食べさせたいから出て来い」と電話があって覚悟を決め訪れると「もうスープ作りに苦労したわ。だれた〜」と仰るので、ココロを込めて味わい尽くしました。その味は四半世紀前から変わらぬ親父さんと私の王道の味でした。
その日から2ヶ月半後、親父さんは天に召されたのですが、数々の想い出と味は私の中に生きています。

9月 01

雑誌を買いました

IMG_3774と言っても、知識武装するためじゃなくて、活字でどれだけ右翼な方々が自己を表現されているか知りたくてなのです。(元々僕は本を読まないタチなので、雑誌を買うのも稀有なことです)

中にはインタービューを書き起こしたページもあるので、口語調もあるのですが、基本的にひたすら練りに練られた文章というものに触れたい思いから購入した。

しかし職業柄からなのか、雑誌の紙質と印刷の仕上げがどうしても気になり、内容どころではなかった。

褒めちぎりたい…「この本は最高だ。」紙質が絶妙で柔らかない中にも芯がある。紙目も縦目になっていてめくりやすく、かつ収まりやすいので片手で丸めて持っても安定している。
サイズをA5の三段組にしているのも高次元でマッチしている。本文は微塗工紙の一種だろうが、白色度も高く、インクの塗りが抜群に良い。これだけインクを盛っても裏移りもパウダーも一切ない。印刷技術も非常に高くてUV乾燥装置か何かだろうが、デザイナーはしてやったりと思うのだろうと推察する。
と言ってもデザインは著者を目立たせるためにわざわざダサさに徹しているように見えるほど野暮ったいが、中身の薄さをデザインでカバーする努力よりも好感が持てた。

雑誌の中身ですか? そうねぇ、意見、所見、世論は歴史の中でうごめいていくので評論家の話も歴史のピースの一部であって、全てではないので良くわかりませんね。最近歴史認識を逆転させようというトレンドが生まれていますが、近視眼的な最近の歴史ではなく、最低室町時代からの流れで世界の歴史を絡めて語って欲しいと思います。僕の大好きな?似非リベラリストな人々は日本の歴史は1945年8月15日の正午から始まったと信じている輩ばかりですからね。困ったものです。

しかしながら、元自衛艦の話は問題点を具体的に表示され、軍事に疎い僕でも現実的でわかりやすいと感じました。

8月 18

戦後70年談話について

安倍談話いわゆる戦後70年談話で思うこと。

今回の安倍総理の戦後70年談話は中々良くできていたと思う。

日本が明治維新から世界列強の仲間入りをして大東亜戦争へと歩を進めた経緯が良く説明されていたと思う。

特にアジアに西欧による植民地主義が吹き荒れていたことを明示したことが特筆ものだと思う。

戦争の本質は経済的利得を巡る領土問題である。フェアな戦争は軍隊同士が陣取り合戦をして、雌雄が決したら降伏して和平条約を結びジ・エンドとなる。そして一般的には※1賠償金を支払う。

例えば「あの民族が嫌いだから残らず抹殺させよう」という狙いで事変を起こすならそれは恥ずべき虐殺行為だ。戦時国際法上は民間人を殺してはいけないのであって、◯◯人を殺せ!という恣意行動をとっている輩をみると、ああいう感情が支配する国と交戦状態になれば、軍人と民間人の区別なく殺戮合戦に発展しそうになるだろう。

憎しみという扱いにくい感情が支配しているので、どこまでというデッドラインがないので、こんな輩とフェアな戦争はできない。

で、「お前は戦争をしたいのか」って?

答えは「どうせ攻め込まれた上で巻き込まれるのだったら、フェアに戦いたい」

しかし現代戦では白兵戦はありえない戦法という。俄かミリタリストには参加資格がないね。戦いは軍を信頼して任せよう。つまり徴兵制は不可能ということだ。通常使える兵士になるには3年かかるという、3年以上かかる消耗戦覚悟の戦争なら有意義だが、短期決戦で終わる紛争であれば間に合わないし、経済的にも無駄というものだ。


※1 日本が大東亜戦争で負けた後で賠償金をフォリピン、ベトナム、ビルマ、インドネシアにしか支払っていない。その他の22ヶ国には経済協力金を支払っている。中国は日中共同声明で賠償請求を放棄している。

7月 18

この国って・・・

先日安保関連法案が衆議院を通過した夜、TBSのNews23で「この国のゆくえ」というタイトルでなにやら見覚えのある二人が神妙な面持ちで語っているのを見た。

「え、レンジャーさんところTVないんじゃないの?」と私を知る人は思われるでしょうが、たまたま親戚の家でチラリと一瞥したのです。

タイトルの「この国」ってどこの国?と違和感を感じました。普通日本国民なら「わが国」と表現するだろうになと思ったし、「この国」のフレーズってどこか他国の者がその国を語る時に、違和感とか侮蔑感を持ちながら使うフレーズです。日本にいて日本人が使う言葉ではないです。自分たちだけが正しくて、意識の低い政治家やこのTVプログラムを見ているレベルの高くない国民に「正義」を知らしめようという態度が見えた。「やってられないよ、このような国の人たちには!」って感じです。

見覚えのある人の一人は「北朝鮮に拉致被害者を返すことが国家間の約束だ。すぐに返すべし」と発言した毎日新聞社のオピニオンリーダーだった記憶が有る。

見覚えのある人の一人はルーピー総理が失言した「普天間の代替基地は最低でも県外」でアメリカに弁解に向かって誰にも会えずに(面会拒否)された人だった記憶が有る。

未だに現役で語っている姿に言論界の特異性を感じたし、「この国の民主主義の行方に・・・」というフレーズに憐れみさえ感じた。同じ頃、日中中間線のガス田の真の狙いは軍事目的であったことが明らかになったのに、そのことに触れないことに片手落ちだと思うのは少数派の私だけなのかもしれない。

6月 29

おやおや

安保関連法案関連の発言の風潮を見て、

「戦争」を煽っているのはリベラリズム情緒たっぷりの方々だと気がつきました。

声が大きくて、うんざりです。

人を罵倒するような大声出し合う力があったら、憲法改正の国民投票を推進する論議を始めませんか。自信を持って否決されれば良いではありませんか。国会前のシュプレヒコールってインテリ人の音の暴力だと思うのです。

原発反対、改憲反対の人たちって同じ匂いがする。顔も同じで皆こぎれいだ。