みやざき百山について

著書「みやざき百山」大谷優 2000年刊。


著書「山の鼓動百首」大谷優 2004年刊。


この2冊の著者の大谷優さんとは今から30年前の1989年から5年間ほど、とある印刷所さんで決まった期間に毎月のように顔を合わせていました。互いに締切を目指してお互いが自分の業務(ある雑誌の発行等)をこなすことだけが忙しく、決して世間話をするような間柄ではありませんでした。ましてや自分の本をお出しになるとは思ってもいませんでした。それは私の方に人の才能を知る能力が欠如していただけのことなんですけどね。

「こんにちは!」『おう!どう調子は?』
「今度の締切はやばいですね」
『あ、そう?頑張ってね』
ぐらいしかお互い声は掛け合いませんでしたが、一度だけ『君は山に登らないのか』と問われて「まさか!」とだけ答えましたが、それから一度も登山の話にはなりませんでした。大谷さんはフッと笑みを浮かべただけで何も言われませんでした。会話のキャッチボールが苦手なのは昔から変わりません。

その後月日は流れ、私は2005年に登山を始めることになりました。

大谷さんがご病気で亡くなったこと(具体的な日付等は知らない)を2007年に私に教えて下さった方(H氏)にこう言われました。
中城君は大谷さんのこと覚えている? 大谷さんは渾身の力を込めてこの本(山の鼓動百首)を執筆したよ。病院のベッドの上でも校正作業をしてきた。大谷さんはこれが自分の集大成だと頑張った。中城君が登山を始めたと聞いたのでこの2冊の本をあげる。大谷さんの気持ちを汲んで頑張ってくれ。そしてこの「みやざき百山」という本は大谷さんが自慢していた本だよ。」

ページをめくると繊細で高邁で人にも自然にも優しい文章が隙間なく並んでおり驚嘆致しました。人の才能を羨むと同時に、いやそれ以上に山を愛さざるを得なかった大谷さんの胸中を汲むことができました。

ちょうど登山ブログを私が始めた頃で、タグ付けに迷っていた私は宮崎県の山域の分類の仕方をこの「みやざき百山」に沿って設定しました。でも百山を目指す考えはありませんでした。理由は不遜にも「山に選はない」という考えだったと思います。今まで「◯◯百名山」という言葉は私には無縁でただ登りたい山を探して登るというスタイルを貫きたかったからです。

大谷さんとH氏が亡くなったお歳に私も近付いてまいりました。お二人が具体的に何歳でお亡くなりになられたかは正直判りませんが、感覚的に近いのだろうと肌で感じています。


山にはまり、記録を残すために登山ブログを開設し、さらに別世界を味わいたいとマラソンにはまり、終いには故障の連続で運動できなくなりましたが、この前霧島の烏帽子岳に登った時に久し振りに「登山っていいなぁ。楽しいなぁ。」と思えました。激しい運動はできないけど、週一で登山を続けていければ残り40山は登頂できそうかなと選んだ次なる目標が「みやざき百山」です。

数えてみたら58山登っておりました。少ないような、多いような…。早速先週牛の峠に向かいましたが、見事に散りました。「山は鉛筆のように削られて山となる。」を実感しました。

2 thoughts on “みやざき百山について

  1. 大谷優さんですか、素晴らしい人だったんですね。
    そして何とも不思議な出会い…。
    しかもHさんの言葉がなかったら、知る由もなかったわけですよね。
    こんな深い思い出があることが、今回の記事ですごく伝わりました!(*^^*)

    残り40山はボチボチ登ってくださいね。
    レポート楽しみにしてます!

    • 若い時に頂いた縁が還暦近くになっても生きてくる。

      私も積極的に若者に声をかけてみようと思うのです。

      目標が持てたことで、未踏山の調べ物が多くなり、久し振りにワクワク感があります。
      楽しみたいと思います。

yappy にコメントする コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください