462 牛の峠


1ヶ月前に三股から入ろうとした時に、登山口まであと700mの地点で林道崩壊で入れなかった牛の峠に、今回はわざわざ飫肥を越えて、少しだけ都城市に入ったところから入山してきました。
登山口はR222の新上熊トンネルの上部にあり、旧道の上熊隧道のトンネル入口から這い上って登ります。
最初はかなり急登で息が上がります。序盤は少し危険でもあります。後述しますが、登山道は移した方が良いと思いました。このルートは中級者以上しか来ないでしょうが、もし超初心者が来たら頂上に辿り着けないかもしれません。

途中2個のピークを挟んで緩やかに登っていきます。倒木が多く先が見渡せない箇所もあったので、テープはもう少しあったほうが良いなと思いました。登山道のルートファインディングは少し判りづらく感じました。支尾根等判断のつかない難しい尾根は一切ありませんが、概して登山道が暗く、先に申したように先が見通せないもどかしさと不安が入り混じった山行となりました。また進むのは尾根ばかりではなくて、深く掘れた落ち葉が深く堆積した道も進みます。古いガイドテープと古いセメントの境界杭が頼りです。


論所跡の石碑を初めて見ました。三面に「従是東飫肥領」と掘られています。いかにも歴史を感じさせる立派なもので飫肥藩の熱意が伝わってきました。「あんな重いもの下から運ぶってかなり大変だったでしょう。「従是西薩摩領(これより先は薩摩藩)」という筆記がないのは飫肥藩が戦勝気分で独自で高揚し設置したものだろう。よく歴史である一方の表記の碑文にも見えてしまう」……と自分は感じました。碑の片方づつに飫肥と薩摩の名前があれば公なのでしょうが。
いえいえ飫肥藩を馬鹿にしているのではありません。その論所の碑は気高く気品に満ちたものに見えたのです。確かに飫肥藩は争いに勝ったのです。

牛の峠に登れて本当に良かった。


MAPです。簡単に見えるかもしれませんが、少し難しいと思った方が良いでしょう。それは体力的な面からではありません。

↓ この2箇所のいずれかが登山口なら人気の山になりますね。
帰りに伐採地の先が開けて林道が見渡せます。自分が車を止めた所にも地図上では繋がっています。藪漕ぎもしないで状態の良い林道へ降りられるので、そこを登山口にすれば人気が上がると思いました。そこで大胆な提案ですが、正直言ってみやざき百山を目指さなければこの牛の峠には訪れなかったと思います。どこから見てもどこにあるのかわからないような人を惹きつけるポイントがありません。ちょうど良い林道がありましたのでこの二つのどちらかを新登山口とすればこの山に訪れる人も多いのでははないでしょうかね。
ネット上にこの牛の峠の記録が多く散見されたのは単に「九州百名山」の一つに数えられていたに過ぎないと思います。なんでも最近この「九州百名山」のリストから落ちてしまったようで、訪れる人も減ったのでしょうし、三股から行くにしても長駆林道を歩いて登山口まで辿り着くスタイルでは肝心の登山客を呼べません。好き者が行ったにしても林道崩壊では辿り着きたくても不可能です。おまけに林道崩壊のお知らせはありませんでした。


では時系列的に写真を並べましょう。

↓ 上熊隧道の手前から右へ上がります。今日途中で出会った登山者は「入口がわからずにトンネルを越えた…」と言ってましたから、きっと怖かったでしょうね。

↓ 「え、まさかこの鎖を越すの?」と思われるでしょうね。
いえ、鎖の横から入れますよ。それも両脇。

↓ これから急登です

↓ この境界杭がこれから先の目印となります

↓ 気持ち良いけれど、明るさは最後までないです

↓ ようやく牛の峠の天辺が拝めました

↓ 大体がこんな感じです

↓ 石碑直前です

↓ これです、これが歴史だと思いました

↓ この表示通りに『右』を向けば…

↓ なるほど! ここしか視界が拡がらない。視界の先は三股町界隈。

↓ ここが天辺。

↓ 天測点はかっこいい

↓ 奥にテープがあったのでちょっと行ってみました

↓ しっかりとした別ルートがあるようです

↓ 舞い戻って、天測点のヘソを触って憂鬱な下り道を辿るとしますかね

↓ 下りでこんな風景を見て新規登山口を作れたらなぁと思いました。この先もわかりにくい下りが待っています。

↓ みやざき百山No.98が終了しました。百山64座目で残り36座です。

↓ 下山後振り返って見てみました。何だろう体験したけど、この登山口異常だと自然に思いました。

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